自分の写真は何を伝えられるのか?
いつも考えてる。
時に人から評価をいただける写真も撮らせてもらってきた
ありがたいこと。
それでも、本当に自分が伝えたいものがそこにあるのか?
いつもいつもその写真達を一人で見つめている。
「誰でも撮れる写真だ」と毎日毎日言われ罵られていたあの頃
あれから、僕は成長できたのか?進化できたのか?
答えはまだまだ見つからない。
僕の写真道において間違いなく変化を及ぼさせてくれた被写体の方がいらっしゃる。
一つは、塩野七生女史と出井伸之氏の対談撮影。
僕が独立するときにこの撮影が成功したお陰で決心がついた仕事である。
そしてもう一つは、稲盛和夫氏の鹿児島撮影。
今なお目に焼き付いている城山公園での雨上がりの砂利道に這いつくばって撮らせてもらった写真。
自分なりの仕事に対して幾度もうつむきかけていたときの撮影だった。
あの時、稲盛氏があの写真を評価してくれなかったら今頃僕はこの世界には居なかっただろう。
なにかしらの節目の時にこうして僕はありがたいことに
助けてもらって来たような気がしてならない。
ただもう助けられるばかりも限界が来ていることは既に身に染みてきた
次の節目は、いい加減自分が作り出してみようかと思う。
僕は生きてる写真が撮りたい。
2012/06/27